小津、黒澤の映画から、戦後の日本の歴史と文化を一番知っている『外人』がドナルド・リッチーだと、私は思う。その彼が50年間のジャーナルの本を出版、大学でレクチャーした。ジャーナルを書いて、記憶を残す、というテーマを中心に、戦後の銀座の状況から現在までを、リッチーが自分の本から読んだんだけど。日本人の学生はほんの数名しか来てなくて、後は先生も生徒も外部の人も外人。日本人は自分の文化を理解しているから聞く必要がないと思うのか、どうなのか知らないが、ちょっと残念に思う。 今回彼はジャーナルをつける大切さと本のタイトルの一部にもある”how to do it”どのようにするか話してたけど、私も日記を書く事は長年していること。過去のエントリーを読み返すことはあまりないが、ウェブを編集しているときに、日記ページを見ると、あ〜こんなことしたんだ。と思い出す。でも、やはりこれも日記がないと忘れてしまう。今日はあらためて日記の大切さを感じたわ。
ずっこけサルサクラブ
な〜んで振り付け開始の日に集まらないのかね?今回は麻布く民間でのパフォもあるので、ステージを大きく使ったダイナミックな踊りをする予定で、その第一回目の練習に半分しか来ないんだから、泣けます。毎回練習時間がないと文句を言って最後に時間を作ってリハするけど、そういう人に限って練習来てない人なのよね。
燃焼
燃えきりました。今も頭がもうろうとしてて、体が火照っています。これは『熱』かも(踊りすぎのね)。とにかく、パフォーマンスは無事終わりました。サルサ友達はもちろん小学校から大学までのお友達もたくさん来ていただいて、幅広く私の踊りっぷりを見てもらうことができて幸せです。しかも、ペアダンスはNo Mistakeです。今日のリハでもなんと一度も間違えなしで踊りきれず、これは一体どうなるのか?というか、もう、集中力のまさに集中をする「力」がなくなっていて、これは私が突っ走るんだろうな〜。と思ってました。けっか突っ走って踊ったけど、しっかり踊れてたよう。ストリート・サルサは足がもつれてたけど、転ばずに持ちこたえられたし・・・カーニバルも汗をだらだら流し、笑顔がかたまりそうになりながらも踊りきりました。